カナかな団の躁鬱

つまるところ、日記BBSの過去ログです。各記事の見出し部分のナンバーは記事個別表示のアンカーとなっています。



日記

891 所謂正しい HTML の 2

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2005年02月19日 17時31分

つれづれ。

そもそも、『正しい HTML』そのものについてでは無く、『所謂正しい HTML 論争』という論争自体を如何に考えるか、が主題だったのに、途中で気分が好くなって、しまいにゃアジ演説になっているあたり。<!-- 愚か者は許される。無知なだけだからだ。しかし、宗教的敗者は許されない。 のあたりで、調子づいてます。-->

そして、正しい HTML の定義をしていないので、非常に曖昧。『所謂』とつけたのは、定義が面倒なので、そのへんの誤魔化しなんですけれども。

ところで、所謂正しい HTML 論争ですが、2 つのレベルがあったように思います。まず、W3C 勧告の仕様(或いは ISO ・ JIS 規格)に添ってマークアップするか、それとも不思議マークアップ或いは自由な制約 <!-- どっちも死語っぽいな --> かというのが、第一のレベル。仕様に添った(つまり valid )マークアップをする上で、如何にマークアップすべきかという論争(仕様の解釈論議)が第二レベル。

で、その第一レベル。不思議マークアッパー <!-- ああ死語だ --> に対し、「仕様が有るんですよ。仕様に従ったほうが良いですよ。」と忠告します。すると、「仕様に添っていない現状でも、さほど不利益が無いのに、どうして仕様に添う必要があるのか。」と感じます。これって、「神様なぞ信じていなくても、別に生活に困ってないのに、何故に入信せにゃならんのだ。」っていう感覚と似ています。宗教の勧誘。尤も、仕様に強制力が有って、明確な罰則が有れば、こうはなりませんが。例えば、仕様に準拠していないと、一切表示されない、或いはもっと過酷に PC がドカンと爆発するとか。目に見えて、実感しやすいデメリットが存在すれば、容易く仕様準拠するわけです。

W3Cが策定しているHTMLの仕様は、環境への非依存と後方互換性についてかなり深く(素人が及びもしないほどに)考慮された設計となっています。要するに仕様に従ってHTML文書を書けば、それだけである程度誰にでもどこからでも(古いブラウザからでも)利用し易いページになるわけで、だからこそ仕様に妥当なHTML文書には強みがあるのであり、自分もそのようにしている次第です。

上記引用部のような、想像しなければ分からない、実感しづらいメリット・デメリットでは、「神様を信じないと地獄行きだぞ」と同じで、正に宗教じみてしまうのではないかと。何故実感しづらいのかと言えば、多くの場合、ブラウザで閲覧することだけを念頭に置きます。というか、それ以外の利用方法など考えずに、Web リソースを制作しています。現状、有り難いことに、ブラウザの大半を占めるのは、WinIE です。ブラウザで閲覧出来れば良いということは、WinIE で閲覧出来れば良いということになります。ほんの少数の利用者が利用できなかった程度のデメリットでは、仕様を勉強するほどの動機になりづらいのが一般的でしょう。

将来の事をを考えれば、仕様に従っていない文書が、利用不可の文書になってしまう危険性は存在します。それについては、非仕様準拠者達にも、恐らく理解可能なデメリットと捉えることが出来ることでしょう。但し、先の事なので、漠然とした不安でしか有り得ず、「地獄行き」並の脅し文句となってしまう可能性が有ります。

そういう考えでいたので、「"正しい HTML の持つメリットなど、あまりにか弱い"」という言葉が意外であり、また、「正しいHTMLのメリットが弱い点」というのが具体的にどういうものなのか、未だに適当な例が思いつけずにいます。

という問いに回答すれば、以上の様なことから、 あまりにか弱い と書いたのです。なんて、すいません、ズルしました。考えるのが面倒だったので、先の記事には書きませんでした。が、今思いついたので、書いときます。

ユーザビリティは文書の設計にも左右されると思いますが、アクセシビリティこそは正しいHTMLであることが大いに有利に働く点ではないでしょうか。現在開発されているウェブブラウザは、おそらく殆どがHTML 4.01以降のHTML仕様に基いて設計されているわけで、そのようなブラウザが最も適切に処理できるのは、やはり仕様に沿って書かれたHTML文書なのではないかと思うのですが。

それは、その通りなんですが、なんたって『WinIE で閲覧出来れば良い』ってことになると、アクセシビリティという概念そのものが消失しちゃうと、思うんです。将来については、先に書いたような理由で同じです。

そして、第二レベル。如何にマークアップすべきかという論争。仕様に従うのは、既に大前提として双方の了解があるが、瑣末な部分で仕様の解釈に相違が発生する場合。他所から見たら、信者同士の議論なので、宗派争いに見えなくもない。まあ、好きでやってるような気もしますが。

で、結局、メリットとかデメリットとか仕様準拠する理由は色々有るけれど、突き詰めると『仕様が有るから、それに従う』ってことしか残らないように思えたわけです。昔、誰かが言っていたけれど、 java script やその他のプログラムは、仕様に従って書くのに、HTML だけ仕様に従わなくても良いってのは、おかしいじゃないか っていう言葉を思い出したわけで。その時は、それだけじゃない、より正しいからそれを選ぶんだ、なんて格好つけてましたけど、今になって思えば、HTML でマークアップするということは、データとしての取扱いやすさという面のみの考慮でしかなく、それ以上でもそれ以下でもないなと。メリットとかデメリットとかユーザビリティとかアクセシビリティとか、全部引っ括めて、機械で処理するんだから、お前ら仕様に従えよ、ってだけの話だなと。

で、機械で処理するんだから、より処理しやすくしといた方が好いわけで、仕様書には詳しく書いてないけど、こう解釈した方が好いんじゃないかってのが、第二レベルの議論だよな、と。

何れにしろ、『ほーむぺーじ』が『ブログ』のことを指す言葉になりつつある昨今、こんな話もなんか色褪せたなあ、と感じてたり。

892 なんというか

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2005年03月01日 21時03分

形の良いオッパイの前では、全てが無力である。

難しい話をするくらいなら、を揉んでいた方が、ずっと好い。そう思わないかね、ワトスン君。

失敬、私は乳を揉ませてもらうよ。ちーちちっちっ、おっぱいぼいん ボイン。もげ、もげもげもげ。ちち をもげー。

893 所謂正しい HTML の 3

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2005年03月02日 18時24分

『正しい HTML 』(テキストを、仕様に添って妥当にマーク付けする行為、というか、もう、かぎ括弧つけちゃお)にメリットが無い、ということはないと思います。個人的に感じられるメリットは存在するでしょうし、普遍的なメリットも存在することでしょう。問題は、そのメリットを各人がどう捉えるか、どのくらい魅力有るメリットと感じられるかということだと思います。

『正しい HTML 』には、Web リソースを制作・管理する上で、色々と楽になるというメリットがあります。が、それは、「ほ〜むぺ〜じびるだ〜」とか「どり〜むうぃ〜ば〜」とかを使用して制作している者にとって、あまり魅力のあるメリットとは言い難いものがあります。

また、『正しい HTML 』には、多くのブラウザが、仕様に従って作られているので、環境の異なる利用者毎に、複数のリソースを用意したり、こと細かに対応しなくても済む、つまり誰からでもどこからでもいつでも利用しやすいリソースになるというメリットもあります。というか、それこそが HTML 仕様策定の根底にあるものだと思いますし、これは制作者にとって普遍的なメリットとなります。しかし、現状、このメリットは、多くの制作者にとって非常に魅力的なものとはなっていません。それは、異なる環境を持ちあわせている制作者が稀なため実感しづらいことと、大半を特定の環境が占める現状、マイナーな環境の利用者を切り捨てたところで、さほどデメリットにならないという点にあります。そして、未来の話は、多くの人が苦手なので、考えませんし。

確かにメリットが存在することは疑いようが有りません。しかし、現世御利益主義者、刹那的快楽主義者、或いは現実主義者にとっては、そのメリットが魅力的なものかどうかについて、費用対効果の観点から、むしろデメリットと判断する場合が有るのではないかと思ったのです。そして、メリットとして魅力を失っているものを、メリットとして持ち出すのは、そういう現実主義者にとっては「信ずる者は救われる」的状況、もはや宗教の勧誘の様相を呈してくるのではないかと。

現実主義者から見れば、「振りかざしているメリットは否定した、それなのにメリットの無い『正しい HTML 』に固執しているのは、彼らが『信者』だからだ。」ということになり、結局、信者と呼ばれた側でも「仕様が有るから守っている」に過ぎないのではないかという疑念が湧いてきます。まあ、極端な物言いですけれど。

と、ここまで書いて、なんか飽きました。諄いし、そもそも『正しい HTML 』ってなんだよ、あまりに抽象的で『曖昧』な概念でしかないし。曖昧なことを曖昧に言ってても虚しいだけだし。『 W3C 信者』とか『 HTML 原理主義者』とかいう呼称が出現するなら、いっそ『信仰』『宗教』ということにして、その辺を考えたらどーよと思い、【890 所謂正しい HTML】を書いてみたわけですが、だからどーってこともなかったわけで。

とにかく、なんだかんだ言っても、仕様は存在するわけで、仕様に添って妥当にマーク付けされたテキストは、仕様に添って利用できますが、そうでないテキストは利用できない可能性が有りますよ、ってだけのことです。はい。

参照:【「正しいHTML」に関する意見集 - 徒委記

余談:っていうか、HTML ってナニというわけで、仕様書を見ると【2.2 HTML とは何か?】には、

地球規模での配信を目的に情報を公開するためには、全てのコンピュータが潜在的に理解可能であるような出版用母語の一種である、世界中で理解される言語が必要となる。World Wide Webで使われる出版言語は、HTML (HyperText Markup Languageの略)である。

HTMLは著者に次の手段を提供する。

  • 見出し、テキスト、表、リスト、写真などのあるオンライン文書を出版すること。
  • ハイパーテキストリンクを通じ、オンライン情報をボタンのクリックで取得すること。
  • 情報検索、予約、商品の注文などの遠隔サービスのトランザクションに用いるフォームを設計すること。
  • 表計算シートやビデオクリップ、音声クリップ、その他のアプリケーションを、文書に直接埋めこむこと。

と書いてあります。更に【2.2.1 HTMLの略歴】には、

HTMLは初め、 Tim Berners-Lee がCERN【ヨーロッパ素粒子物理学研究所】在籍時代に開発し、NCSA【全米スーパーコンピュータ応用研究所】が開発したMosaicブラウザによって一般化した。そして1990年代に、Webの爆発的成長と共に開花した。この間、HTMLは様々な方法で拡張された。WebはWebページ著者と【ユーザエージェントの】ベンダーとが同じHTML規約を共有することで成立する。ここに、HTML仕様を共同で作成する動機がある。

と、仕様を作成するに至る動機が書いてあります。

HTML文書が、ブラウザやプラットフォームの違いを超えてうまく働くべきであるということは、多くが認めるところである。 相互運用性の達成は、コンテンツプロバイダのコストを低下させる。なぜならただ1種類の文書しか作る必要がなくなるからだ。 もし【相互運用性確保の】努力が成されなければ、Webは互換性のないフォーマット毎に分け隔てられた世界に分割され、すべての関係者にとっての商業的可能性が減少することとなるであろう、大きなリスクを負うこととなる。

どのバージョンのHTMLも、コンテンツプロバイダの投資が無駄にならないよう、また短期間で文書が読み取り不能となったりすることがないよう、産業界の幅広い賛同を反映するようにされてきた。

HTMLは、どんな環境からもWebの情報を利用できるようにすべきだという方針の下に開発されている。例えば、様々な解像度や色深度のグラフィックディスプレイを持つPCや、携帯電話、モバイル機器、音声入出力機器、帯域が広いコンピュータや狭いコンピュータ、等の環境である。

その仕様については、 コンテンツプロバイダのコストを低下させ コンテンツプロバイダの投資が無駄にならないよう、また短期間で文書が読み取り不能となったりすることがないよう、産業界の幅広い賛同を反映 されて策定されたものなわけで、 どんな環境からもWebの情報を利用できるようにすべきだという方針の下に開発されている ので、その通りのメリットが有るのは当然ですね。ただ、そのメリットが何よりも魅力的というわけではない現状が特殊なだけで。

894 所謂正しい HTML の 4

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2005年03月09日 20時56分

いくつか。

ということで、より厳しい道を進み、より高い場所へと進 むという宗教観が成立します。 悲壮な決意が要るらしい。 仕様書という規則を、強制力を持つ「経典」に昇華させないと気が済まない。 そんなことをするぐらいなら、正しい日本語(歴史的仮名遣い)で書いたらどうですか。 文章が存在しなければ、HTML など意味が無い。 新字新かなで書いておいて「正しい HTML」などと言うのは、宗教的に破綻しています。

日本語としてはおかしいけれど、HTML は strict なんて言う相対的原理主義者は胡散臭い。 こういう人は最初に HTML ありきなので、それに合わない日本語は変と言い張る。 これでは筋が通らないので、私は Transitional を宣言しています。

日本語としては正しくない新字新かなで書いているから、HTML は Transitional なんて言う原理主義者も胡散臭い。とか言ってみるテスト。尤も、私も胡散臭いらしいので、一緒ですけどねー。

ところで、使用している日本語によって DTD を選択するのであれば、frameset.dtd は、どういう日本語に使えば、筋が通ることになるんだろう?

適正HTML文書には、どのバージョンのHTMLであるかの宣言がある。 文書型宣言が、当該文書の文書型定義(DTD)の名前を示す ( [ISO8879]参照)。

HTML 4.01仕様は、3つのDTDを規定しており、著者は自分の文書に、次の3つの何れかの文書型宣言を含めねばならない。 各DTDは、サポートする要素が異なってる。

  • HTML 4.01厳密型DTD。これは、推奨しないこととなった要素や属性を含まず、またフレーム設定用の要素・属性をも含まない。 このDTDを用いる文書は、次の文書型宣言をせよ。
     <!DOCTYPE HTML PUBLIC "-//W3C//DTD HTML 4.01//EN"
     "http://www.w3.org/TR/html4/strict.dtd">
    
  • HTML 4.01移行型DTD。 これは、厳密型DTDのすべての要素・属性に加えて、推奨しない要素や属性も含む(推奨しないもののほとんどは視覚的プレゼンテーションに関わるものである)。 このDTDを用いる文書は、次の文書型宣言をせよ。
    <!DOCTYPE HTML PUBLIC "-//W3C//DTD HTML 4.01 Transitional//EN"
     "http://www.w3.org/TR/html4/loose.dtd">
    
  • HTML 4.01 フレーム設定型DTD。これは、移行型DTDのすべてに加えて、フレーム用の内容を加えたものである。 このDTDを用いる文書は、次の文書型宣言をせよ。
    <!DOCTYPE HTML PUBLIC "-//W3C//DTD HTML 4.01 Frameset//EN"
     "http://www.w3.org/TR/html4/frameset.dtd">
    

扨、自分で『正しい HTML 』ってなんだよ、って問い掛けてるので、なんとなく「『正しい HTML 』とは」をググってみました。いきなり【「正しいHTML」とは何か】というのが有りました。2001 年 5 月 18 日と日付が打ってありますから、もう 4 年も前の文章なんですね。

簡單に言ふと。

正しい
  • 1. 道理や法にかなつて、誤りが無い。「──行ひ」「──答」
  • 2. きちんとしてゐる、整つてゐる。「──姿勢」

私は「2」の意味で「正しい」を使つてゐる。「それは本當に正しいのか」と云ふ指摘をする人々は「1」の意味で「正しい」を使つてゐる。この時點で、話はすれ違つてゐる。議論が噛合はないゆゑんは、常に用語法の違ひ。

言葉の用ゐ方に人々がもつと意識的になれば、不毛な議論は確實に減る。

「正しい HTML 」と書いた場合に、上記「2」の意味なら、「仕様に従ってマーク付けする行為」。上記「1」の意味ってことなら、仕様に従うことは前提条件で、更に、「より論理的かどうか等という部分を論じる行為」かな、たぶん。そのへん曖昧なまま「正しい」とか書いてはいけませんね。反省。

おまけ。

體系化された思想も、根本的な部分で「超合理」の世界に入ってしまふものであり、そこに「宗教的」な論爭がはじまる機縁がある。それは重々承知してゐる。

正に「信ずる者は救はれる」の世界だと云ふ事になるのだが、我々人間は、いかなる社會に於ても宗教から逃れる事は出來ない。近代社會がキリスト教社會である事を、キリスト教の傳統を持たない日本人は意識しないが、宗教を意識しないからと言つて、そこに宗教が存在しない譯ではない。

ただ、意識化する事によつてのみ、人は對象物との距離を見定める事が出來る、と云ふ事だけは指摘しておきたい。意識的に宗教的である時にのみ、人は宗教と一定の距離を置く事が出來る。宗教を意識の外へ追ひやる事で、宗教をなくす事は出來ない。

895 ヤマヲタの妄想・新 250 マシン

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2005年03月10日 03時45分

が近所に有るので、全てを選択したつもりが、終了させてしまう今日この頃。

カナかな団の提供で、お送りしております。

扨、巷では、ヤマヲタというかヤマハ信者(特にオフ系)には待望の、250 ニューマシンの話が囁かれていましたが、結局【トリッカー】ベースの新セローということになるようですね。もう少し攻撃的な進化をしてほしかったセロー使い達からは、この新セローは、不評のようですが。

新しい 250 マシンを待ち望むヤマヲタが、どんなものを希望していたのかというと、モタード、エンデューロ系のオフロード(或いはトレールバイク)あたりで、つまり国内向けカタログラインナップから抜け落ちていると思われるモデルだったのかもしれません。

モタードについては、ヤマハというメーカの性格を考えると、今さらそのまんまのモデルを発表するとは思えず、早々には有り得ない線ですが、市場動向(例えば新セローの売れ行き)次第では、インジェクションの採用時期とも絡んで、そう遠くない未来には、発表される可能性はあるのかもなー、但しモタードと呼ぶには微妙なモデルとしてだけど、て感じかなぁ。

しかし、エンデューロ系のオフロード(或いはトレールバイク)となると難しい問題です。現在、このあたりのモデルは、(株)プレストコーポレーションを通じての逆輸入とは言え、【WR250F】や【TT250R】を国内向けのバイクと大差なく(若干高価ですが……)、全国津々浦々、入手することが可能なわけで、これはヤマハが国内向けに既にラインナップしてるようなものだという解釈も成り立ちます。となると、わざわざ国内向けと称して、需要が少なそうなモデルを、ラインナップし直す意味が有るのかということになり、懐疑的に成らざるを得ません。

ただ、その WR250F を日常的な足や、ツーリングに使おうと考えると、いささか不安が有るのも理解できる話で、そのへんのユーザをカバーするはずの TT250R は、いくらなんでも設計が古過ぎるから、新 250 オフマシンを渇望するヤマヲタの、新セローに対する失望も分からなくもないんですが。

まあ、新セローがどのくらいの実力か、実車に乗ったわけでもないし、写真の外観から想像してるだけなのでナニなんですが、そういうヤマヲタの希望する外観ではなかったという点から考えると、コアなオフライダーは、トランポ買って WR250F を買えと、ヤマハは考えてるのかもしれません。

まあ、環境問題に過敏な現在、山の中を暴力的に走り回るようなイメージのバイクを投入しづらいという点を無視した上で、個人的な観測、或いは希望を述べさせてもらえば、現状のトリッカーベースの 250 エンジンの次期バージョン、インジェクション搭載(これは排ガス規制対策)でツインカム化したもの(水冷化は微妙かなぁ……)が登場した段階で、 TT250R の足廻りをリファインしたモデル(色々考えると、全面リニューアルは有り得ないと思うし、サスペンションはかなり進化したので、実際のところ、それだけでも十分)が出てくる可能性はあるかもしれないかなー、とは思っています。まあ、プレイバイクとしての、欧米も含めた需要がどのくらい有るのかがキモだろうけれど。

896 WR250F めも:足が届かない……

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2005年03月11日 04時00分

自慢じゃありませんが、私の乗る WR250F のシート高は、世界でも一、二を争う高さなのです。ほぼ 1 メートル。カタログ値はスーパーの値づけのように 998mm となってますが。'05 モデルでは、若干、とは言ってもミリ単位で、1cm に満たない数値分低くなったらしいです。<!-- ちなみに、黄色い三角木馬などと呼ばれるスズキの DR-Z400S でも 895mm。-->

まー、国内向けトレールモデルが存在しないという、嘆きのヤマヲタにとって、当然、WR250F が購入対象になるわけですが、このシート高が障壁の一つとなります。

貴方が標準的な身長・体重、そうですね、170cm / 60kg に届くかどうかという辺りとしましょう。

バイク屋に、WR250F がポンと飾られてます。「おお、これが WR か」と感動しながら眺めることになりますが、「では、跨がってみようかな」となった途端、WR250F は貴方を拒絶します。跨がれそうもない気がしてくるのです。でも、そこはエイヤッと跨がることにします。すると今度は、支えられないような気がしてきます。シートから腰をずらして、ようやく片足の爪先が地面に届くかどうかという有り様になるからです。

直立しているバイクを支えるのは、比較的楽ですが、斜めに傾いたバイクを支えるのは大変です。そこで、なるべくバイクを直立させんがため、貴方は爪先ツンツン立ちすることになるのです。たぶん、素人は走り出す前に転倒することでしょう。

が、尤も、それも新車の内だけで、時間が経てばサスペンションの当たりも出てくるし、適正なサグを出せば、足着き性も良くなってきます。まー、そんなに心配するほどの障壁では無いのかもしれません。

しかし、色んなシーンでシート高の高さを痛感することにはなるでしょう。或る意味、両足がべったり着くなんていうマシンは、マシンの能力云々に関係なく、恐ろしく高い走破性を持つことになるわけで、逆に片足がやっとという状況では、マシンの能力以下の走破性しか発揮できないなんてコトも有るからです。

ただ、ラッキーなことに、山の中を走る場合、足を着かなくてはならない状況に陥った時には、なぜか足が着きやすくなってることが多いのです。片側が山の斜面だったり、ちょうど好い位置に大岩や木の根があったり、上手い具合に溝が掘れていて車体の位置が低くなっていたり。逆に言うと、足を着く場所が無さそうなセクションに挑む時には、クリーン以外に安全に走り切る道は無く、途中で失敗すれば、マシンを放り投げるしかないということなんですけれど。

で、そんなある日、ちょいと長身の友人が貴方の WR に跨がるわけですよ。すると両足がベタッと地面に着いているじゃありませんか。「うああ。ちくしょー、羨ましいぞ、そのガタイが」などと嫉妬しつつ、牛乳を慌てて飲んでみたところで、もう身長は伸びませんよね、やっぱり。

897 其の漢字は諄い

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2005年03月19日 02時56分

そうなのです。無闇矢鱈に漢字が多くなって居るのです。

仮名漢字変換の精度が上がって以来、必要以上に漢字を使う人が増えました。たしかに日本語の文章は、漢字が適度に混じっていないと読みにくいのですが、一般の文章で「諄い」のように読み辛い文字を使うのはいかがなものでしょう。

「読み辛い」かどうかという判断をどの辺で下すのかが微妙な所で、一般的には、其の文章の対象読者をどの様に考えるかに因り、漢字の使い分けが発生したりしなかったりしてるのかもしれません。個人的には、「振り仮名付ければ全て解決」賛成派なんですけれど。でも、一々面倒なので、この日記では振り仮名を付けたりはしてませんが。将来、自動的に振り仮名が付く事を祈ってる次第です。<!-- 【キッズgoo】を利用して閲覧するという技も有るけれど。「ごめんね。ページがひょうじできませんでした。」と言われて残念な思いをしたりしなかったり。 -->

ところで、Google 様にお伺いを立ててみた所、「くどい」は 170,000 件に対し、「諄い」は 8,400 件ですから、一般的には圧倒的に「くどい」と書く物なのかもしれません。<!-- 実は、上記引用文には現在削除された MS-IME でも変換できない という部分が有ったのですが、「くどい」が圧倒的な理由も其の辺( MS-IME )に有ったりして。 -->

さらに、「クドイ」は 24,600 件、「クドい」は 10,900 件で、まあ純粋に其の意味で使用しているのかどうかは定かでは有りません(固有名詞ぽいのも有りそう)が、漢字で書くのには抵抗が有るけれど、然りとて、ひらがなで書く事にも抵抗が有るという方もいらっしゃるのかもしれません。ついでに、「諄諄」(此れは意味が違いそう)は 494 件、「くどくど」は 41,200 件、「クドクド」は 12,400 件でした。

いや、Google の数字を並べた所で、どうと言う事は無い話なのですが。

898 Firefox 1.0.2

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2005年03月24日 20時40分

ようやく一昨日あたり、Windows マシンの Firefox を 1.0.1 に更新したばかりだったのに、気がついたら 1.0.2 が出ていたり。

なんだよー、とか思いつつ、インストール。おろ、サイドバーの挙動が変ですよ。『ミニさとみかん』あたりは以前と変わらないんだけど、『はてなアンテナ』あたりをサイドバーで使うと、リンク先をサイドバー内に表示してしまうという状況が発生。「 Ctrl キー」+ クリックなら、新規タブが開いて、そこにリンク先を表示してくれるんだけど、これじゃあ使いにくいわけで。

あちこちググってみたけれど、解決策がサパーリ分からんので、1.0.1 に戻ってしまいました。なんだかなぁ。

899 Firefox 1.0.2 とサイドバー

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2005年03月28日 17時32分

再度婆なんちて。

扨、どうも、バグだったらしく、なんでも関数名の書き間違いとかだそうで。1.0.3では修正されるのかな。

関係各位には、色々ご報告等、またお取り計らい頂き、御礼申し上げます。

私の場合、MacIE5 + 『ミニさとみかん』以来の習慣で、大抵、サイドバーを開いて使っているわけです。ブックマークや履歴、アンテナなんかが収納されてます。RSS が流行っているとは言え、RSS 出力していないサイトも多く、やっぱりアンテナは重宝なのです。

えーと、なんつーか、以上。

900 仮面ライダー響鬼

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2005年04月01日 20時22分

アレですよ。

「火」の鬼が『響鬼(ヒビキ)』で、「風」の鬼が『威吹鬼(イブキ)』だと。ということは、残りの戦士は、「地」と「水」の鬼ということに。

「地」の鬼、戦士の名前は『幻鬼(ゲンキ)』。まあ黄色でしょ。カレーが好物で、太り気味体型。音撃戦士ということなので、なんぞ楽器を持たなきゃならんわけで、太鼓、トランペット(笛か)と来たので、ベースギターです。音撃弦「烈震」を弾くと、地震が起こって、摩訶魍(まかもう)が爆発するんです。

でね。

「水」の鬼の戦士、その楽器なんですけど、たぶん「声」なんじゃないかと。まあ、ギターを持ってきてもらっても、好いんですけどね。

で、4 人揃って、ようやくオープニング曲が完成するという……。


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