カナかな団の躁鬱

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日記

893 所謂正しい HTML の 3

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2005年03月02日 18時24分

『正しい HTML 』(テキストを、仕様に添って妥当にマーク付けする行為、というか、もう、かぎ括弧つけちゃお)にメリットが無い、ということはないと思います。個人的に感じられるメリットは存在するでしょうし、普遍的なメリットも存在することでしょう。問題は、そのメリットを各人がどう捉えるか、どのくらい魅力有るメリットと感じられるかということだと思います。

『正しい HTML 』には、Web リソースを制作・管理する上で、色々と楽になるというメリットがあります。が、それは、「ほ〜むぺ〜じびるだ〜」とか「どり〜むうぃ〜ば〜」とかを使用して制作している者にとって、あまり魅力のあるメリットとは言い難いものがあります。

また、『正しい HTML 』には、多くのブラウザが、仕様に従って作られているので、環境の異なる利用者毎に、複数のリソースを用意したり、こと細かに対応しなくても済む、つまり誰からでもどこからでもいつでも利用しやすいリソースになるというメリットもあります。というか、それこそが HTML 仕様策定の根底にあるものだと思いますし、これは制作者にとって普遍的なメリットとなります。しかし、現状、このメリットは、多くの制作者にとって非常に魅力的なものとはなっていません。それは、異なる環境を持ちあわせている制作者が稀なため実感しづらいことと、大半を特定の環境が占める現状、マイナーな環境の利用者を切り捨てたところで、さほどデメリットにならないという点にあります。そして、未来の話は、多くの人が苦手なので、考えませんし。

確かにメリットが存在することは疑いようが有りません。しかし、現世御利益主義者、刹那的快楽主義者、或いは現実主義者にとっては、そのメリットが魅力的なものかどうかについて、費用対効果の観点から、むしろデメリットと判断する場合が有るのではないかと思ったのです。そして、メリットとして魅力を失っているものを、メリットとして持ち出すのは、そういう現実主義者にとっては「信ずる者は救われる」的状況、もはや宗教の勧誘の様相を呈してくるのではないかと。

現実主義者から見れば、「振りかざしているメリットは否定した、それなのにメリットの無い『正しい HTML 』に固執しているのは、彼らが『信者』だからだ。」ということになり、結局、信者と呼ばれた側でも「仕様が有るから守っている」に過ぎないのではないかという疑念が湧いてきます。まあ、極端な物言いですけれど。

と、ここまで書いて、なんか飽きました。諄いし、そもそも『正しい HTML 』ってなんだよ、あまりに抽象的で『曖昧』な概念でしかないし。曖昧なことを曖昧に言ってても虚しいだけだし。『 W3C 信者』とか『 HTML 原理主義者』とかいう呼称が出現するなら、いっそ『信仰』『宗教』ということにして、その辺を考えたらどーよと思い、【890 所謂正しい HTML】を書いてみたわけですが、だからどーってこともなかったわけで。

とにかく、なんだかんだ言っても、仕様は存在するわけで、仕様に添って妥当にマーク付けされたテキストは、仕様に添って利用できますが、そうでないテキストは利用できない可能性が有りますよ、ってだけのことです。はい。

参照:【「正しいHTML」に関する意見集 - 徒委記

余談:っていうか、HTML ってナニというわけで、仕様書を見ると【2.2 HTML とは何か?】には、

地球規模での配信を目的に情報を公開するためには、全てのコンピュータが潜在的に理解可能であるような出版用母語の一種である、世界中で理解される言語が必要となる。World Wide Webで使われる出版言語は、HTML (HyperText Markup Languageの略)である。

HTMLは著者に次の手段を提供する。

  • 見出し、テキスト、表、リスト、写真などのあるオンライン文書を出版すること。
  • ハイパーテキストリンクを通じ、オンライン情報をボタンのクリックで取得すること。
  • 情報検索、予約、商品の注文などの遠隔サービスのトランザクションに用いるフォームを設計すること。
  • 表計算シートやビデオクリップ、音声クリップ、その他のアプリケーションを、文書に直接埋めこむこと。

と書いてあります。更に【2.2.1 HTMLの略歴】には、

HTMLは初め、 Tim Berners-Lee がCERN【ヨーロッパ素粒子物理学研究所】在籍時代に開発し、NCSA【全米スーパーコンピュータ応用研究所】が開発したMosaicブラウザによって一般化した。そして1990年代に、Webの爆発的成長と共に開花した。この間、HTMLは様々な方法で拡張された。WebはWebページ著者と【ユーザエージェントの】ベンダーとが同じHTML規約を共有することで成立する。ここに、HTML仕様を共同で作成する動機がある。

と、仕様を作成するに至る動機が書いてあります。

HTML文書が、ブラウザやプラットフォームの違いを超えてうまく働くべきであるということは、多くが認めるところである。 相互運用性の達成は、コンテンツプロバイダのコストを低下させる。なぜならただ1種類の文書しか作る必要がなくなるからだ。 もし【相互運用性確保の】努力が成されなければ、Webは互換性のないフォーマット毎に分け隔てられた世界に分割され、すべての関係者にとっての商業的可能性が減少することとなるであろう、大きなリスクを負うこととなる。

どのバージョンのHTMLも、コンテンツプロバイダの投資が無駄にならないよう、また短期間で文書が読み取り不能となったりすることがないよう、産業界の幅広い賛同を反映するようにされてきた。

HTMLは、どんな環境からもWebの情報を利用できるようにすべきだという方針の下に開発されている。例えば、様々な解像度や色深度のグラフィックディスプレイを持つPCや、携帯電話、モバイル機器、音声入出力機器、帯域が広いコンピュータや狭いコンピュータ、等の環境である。

その仕様については、 コンテンツプロバイダのコストを低下させ コンテンツプロバイダの投資が無駄にならないよう、また短期間で文書が読み取り不能となったりすることがないよう、産業界の幅広い賛同を反映 されて策定されたものなわけで、 どんな環境からもWebの情報を利用できるようにすべきだという方針の下に開発されている ので、その通りのメリットが有るのは当然ですね。ただ、そのメリットが何よりも魅力的というわけではない現状が特殊なだけで。


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