つまるところ、日記BBSの過去ログです。各記事の見出し部分のナンバーは記事個別表示のアンカーとなっています。
どーでもいーですよ♪なのかもしれないけれど、なんとなく。
「学者馬鹿」という言葉がある。自分の専門分野以外の常識を持ち合わせていないという意味だ。今なお、学者たちの中には、出版社に適切な形で原稿を渡せない人たちが多い。そうした人たちの中には、Macユーザーが結構いる。ただの文字原稿を、Macのワープロソフトで作成し、その独自形式のままファイルを渡す人がいる。
今なお、学者たちの中には、〜
と言うのですが、学者ではない人達、所謂一般人というか日本国民の多くは、 出版社に適切な形で
原稿を渡すことが出来る、或いは出来る人が多く、ということは、出版社に原稿を渡すのに適切な形というものは、専門分野以外の常識の範疇に入るのです。もし、知らないという方は、大至急調べて覚えてください。でないと、「学者馬鹿」と呼ばれる可能性が大です。
適切な形で原稿を渡せない人たちが多い
ということは、半数以上はそういう学者が存在するのです。「少なからずいる」とか、「少なくない」なら、半数以下でも問題ありませんが、「多い」のですから、50% を超える学者が 適切な形で原稿を渡せない人
なのです。しかし、その中で Mac ユーザーが、どのくらいの割合を占めるのかというと、凄く怪しい表現になっています。結構いる
というのは、結構な表現でして、すごくたくさんいるのか、たいしたことないけどたまにいる、という程度なのか、極めて不明瞭なのです。
つまり、学者の内、どのくらいが Mac ユーザーで、その中で、どのくらいの学者が不適切な形の原稿を出版社に渡しているのか、さっぱり不明なのです。それでは、Mac を使っているから、不適切な形の原稿を渡してしまうのか、学者の注意力が足りないので不適切な原稿を渡すのか、因果関係は判断できないではないですか。
ただの文字原稿を、Macのワープロソフトで作成し、その独自形式のままファイルを渡す人
は存在するでしょう。が、ただの文字原稿を、Windows のワープロソフト、さらには Excel で作成し、その独自形式のままファイルを渡す人も存在するでしょう。それは、学者だけの問題ではなく、また、使用する OS に起因するものでもなく(むしろ Mac ユーザの多くは、自分たちがマイノリティーであることを知っているし、ファイルのやり取りに関して、Windows が意外に融通の効かない OS であることも知ってたりするし)、単純に知識の欠如がもたらすものだと思われます。
ゆえに、Mac ユーザーだけが不適切な原稿を渡すわけではないと思うのですが、実は、出版社に渡す原稿の適切な形が『ただの文字原稿を、Windows のワープロソフト、さらには Excel で作成し、その独自形式のままファイルを渡す』ことだったりすると困るなあ……。
ちなみに、出版社に限らず、誰かにファイルを渡す、または誰かからファイルを貰う時には、どういう種類のファイルが欲しいのか、どういう種類のファイルなら渡せるのか、きちんとお互いに確認する必要があるのは、言うまでもありません。プレーンテキストとか、タブ区切りテキストとか、Adobe Illustrator 形式とか、ISO/IEC 15445:2000 とか、バージョンにより互換性に問題があるときは、バージョン情報もふくめて、お互いに確認しなければなりませんね、念のため。
東大のコンピュータがほとんどMacOSになるということは、UNIXやWindowsユーザーとのファイルのやりとりなども経験しないまま大学を卒業する学生が増えてしまうことにもつながるのではないか?
まあ、学内のパソコンは複数の OS を採用しろってことが言いたかったのかもしれませんが(それとも UNIX を採用すれば、そういった問題が解決できるのかしら?)。
なんか、どーでもいいですよ♪な話でしたねぇ。
えーと、元のリソース【asahi.com : コラム : AIC】が綺麗サッパリ削除されてしまって、何のことやらになってしまったので、メモ。
何が書いてあったのかというと、TRON と MS の関係と、東京大学に多数の iMac が導入される話で、その東京大学の件を強引に要約すると、『なんで Mac なんじゃあ、おりゃ、UNIX にしやがれ、かばたりがー』『Mac なんて使ってると、馬鹿になっちゃって、満足にファイル交換もできんのじゃ、ぼけ』てな感じでした。<!-- たぶん雰囲気は似ていると思います。-->
で、元々の認識に於いて思いきり間違ってたらしく、各所より突っ込まれた揚げ句、該当リソースの削除という結果になりまして、執筆者の鐸木能光氏自身も、認識不足、誤認があったことを認め、来週号でお詫びと訂正が入るらしいことを、氏が管理するらしいサイトの掲示板に書き込んでいたらしいのですが、相当な荒し行為にあったらしく、その掲示板も現在は停止状態になっています。
そもそも、氏のコラムが何を言いたかったのか、明瞭でなく、iMac を多数導入することと、不適切な形の原稿を渡すことと、UNIX に何の関係があるのか、さっぱり分からなかったのも事実で、思うにただのアンチマカの戯言だったようにも思えます。つまるところ、Mac 大嫌いな氏が、日本の最高学府たる東京大学において、iMac が多数導入されるというニュースを知った途端、勢いで書いてしまったというところなんでしょう。
教訓:馬鹿って言う奴が馬鹿。そういう俺も馬鹿。
定義: 自分の専門分野以外の常識を持ち合わせていないという意味
で、 出版社に適切な形で原稿を渡せない人が多く
、傾向として Macユーザーが結構
いて、症状としては、 ただの文字原稿を、Macのワープロソフトで作成し、その独自形式のままファイルを渡
したりする。
定義:某新聞社系のサイトにコラムを執筆している割には、自分の専門分野であろうところの常識や知識にも欠けているという意味。さんざん突っ込まれ、当該リソースが削除されたりする。適切な形のファイルの遣り取りに、関心があるような雰囲気を与えるが、その割には本人が管理・関係する Web サイトの方は、『自由な制限の HTML 』信奉者なのか、あまり適切な形にはなっていないことが多い。
くわばら、くわばら。
「なっちゃんは、よんさいなったから、できるんだお。」
と豪語する、なっちゃん(4 歳)は、何でも姉(10 歳)と同じじゃないと気がすまないのだ。ということで、姉(10 歳)と一緒にダンスのレッスンへ。
「アン、ドゥー、トロワ」
いや、実際はバレエじゃないので、1、2、3 と号令(!)に合わせて、今日もバーレッスンからです。
なっちゃん(4 歳)、年齢の自覚からか、しっかり先輩達の真似っこをして、何やら鯱のような格好をしたり、短い手足をバタバタさせてご満悦。が、休憩中は、目の前にあるバーをじーと見つめていたかと思うと、「カプ」とくわえてボーとしていたり。結構バカっぽい。
「あー、おしっこもれちゃったー。」
とか言い出すので、車中で大騒ぎしていると、
「なーんちゃって。」
とか、どこで覚えてくるのだろー。不思議。
クリスマスにサンタに貰う ぷぜれんと をリストアップするため、ただいま「ひらがな」の練習中。でも、自分の名前以外には「アンパンマン」の「パ」しか読めないのさ。
『だるまちゃんとうさぎちゃん』著者:加古里子 / 発行:株式会社福音館書店 / ISBN4-8340-0450-3 を読んだのです。1972 年 12 月 1 日こどものとも発行、1977 年 4 月 1 日こどものとも傑作集 第 1 刷、2002 年 1 月 10 日第 44 刷となっていますから、ロングセラーなのかもしれません。丹下左膳と座頭市が登場してます。ゆきだるまの目玉に使ってた林檎が一つ無くなったのを丹下左膳、両方無くなったのを座頭市に喩えています。で、主役は本来なら手足の無い『だるま』ちゃん。現在では、書けないかもしれません。
で、やっぱり座頭市って言えば、勝新太郎です。格好よいのです。
「めくら」って三回言うと、斬られちゃったりするのです。でも、馬鹿にして、「どめくら、どめくら、どめくら」と三下が罵ってしまい、やっぱり斬られちゃうのです。はたまた、賭場でさんざん儲けて帰る夜道、暗いからと提灯を渡されるのですが、考えてみれば目が見えないので、提灯はそもそも必要ないのです。でも、ちゃんと受け取って律義にぶら下げて歩く姿が、なんともかわいいのです。実は、提灯は、後をつけるやくざの手下の目印なわけです。で、手下どもが襲いかかると、さっさと提灯を消してしまい、真っ暗やみにしてしまったり。とにかく夜中の斬り合いでは、まず、蝋燭や行灯を消しにかかります。
「ああっ、くそ、真っ暗で何も見えねえぞ。」
とやくざどもが騒ぐと、すかさず、
「目明きは、不自由だなー。」
となるのです。格好よいのです。地上波での放送は無理っぽいです。
あ、座頭市が目ェ開いた。北野たけし座頭市を見て、タップを習いに来た少年がいたり、丹下左膳を知らないお母さんもいるらしい昨今、如何お過ごしですか。
【にほんごであそぼ】のおかげで、最近の子供たちが知っているもの。
山のあなたの空遠く、「幸」住むと人のいふ。
ああ、われひとと尋めゆきて、涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く、「幸」住むと人のいふ。
「山のあなあなあな……」(三遊亭 圓歌)です。「しんおーくぼー」なんてのも思い出します。哀愁があります。姉は従軍看護婦です。
ところで、上田敏といえば、やっぱりヴェルレーヌです。
秋の日の ヴィオロンの ためいきの
身にしみて ひたぶるに うら悲し。
鐘のおとに 胸ふたぎ 色かへて
涙ぐむ 過ぎし日の おもひでや。
げにわれは うらぶれて こゝかしこ
さだめなく とび散らふ 落葉かな。
「身にしみてひたぶるにうら悲し」の節が BBC で放送されると、24 時間以内に反抗開始なのです。独軍は、前もって暗号を入手していたにも関わらず、機甲師団を動かすことが出来ず、戦局は連合軍に有利になっていったのです。
そうそう、再来年の大河ドラマ、義経だそうです。弁慶は誰が演ずるのかって、ボブ・サップじゃん、やっぱ。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことはりをあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
途中で忘れてしまっても、死して屍拾うものなし
とか言っておけば、どうにかなります。
なんか、病気なんですよ。微熱ですが、熱もあるらしいし。もう、さっぱり意欲が湧かなくって、何を見ても、ぐたぐだーって感じなんですよ。
格好イイはずだったんですけど、今見てみると、ぐだぐだー。ああ、やだ。
とにかく、ぐだぐだ。ごほん、ごほん、あ、咳も出てるし。
所詮、4 歳児なんて、クレクレタコラなのです。TV-CM を見れば「あれ買って」、トイザらスの広告を見れば「これ買って」とくるわけで、なんでも欲しがるクレクレタコラ♪なのです。
その商品が、どういうものなのか、何に使うのか、オモチャなのか、生活用品なのか、そのへんはおかまいなし。とにかく欲しがるわけで、商品を入手することに生き甲斐を感じているのじゃないかと思われるのです。とはいえ、3 歳児との違いは、おぼろげながらどういう商品なのか認識できているのではないかと思わせる点であり、さらにメーカーの違いをも認識してそうな気がするあたりにありそうです。
EPSON の「つよインク」、そうインクジェットプリンタの CM なんですが、黄色い人が踏ん張っているアレ、ぼーっと TV を見ていた下の娘に、
「ほーら、つよインクだって。凄いねえ。」
などと話しかけたら、
「なっちゃん、 ぴこさす の方がイイ。」
と回答が……。
ぴこさす とは、おそらくキヤノンのピクサスだろうと思われるのだが、吃驚したのは、彼女が EPSON のつよインクの CM がプリンタであると認識していたという点と、キヤノンのピクサスがそれに類似した商品であると認識していた点であります。つまり彼女は一消費者として、類似した商品を比較検討することが出来るわけで、おお、4 歳児の能力侮り難しなのです。
来年の moto GP に向けて、YAMAHA から新しいマシンが出ないかな。4 サイクル V 型 5 気筒 5 バルブニュージェネシスエンジンてなことで、名づけて、YZF-XXV。
XXV てのは、「イクスイクスヴイ」とか「ダブルエックスブイ」とか。まあ、合計 25 バルブになるってことで XXV なわけ。どーよ。
「ローマ数字なら UTF-8」ってことで、実験してみたけど、なんかよく分かりません。
実験くん。
なんか、ここのところ忙しいのです。おかげで、日記のファイル名が、「年月」と関係ないものになってしまったのです。どーでもいーですが。
めも。
扨、制作者スタイルシートで文字サイズの固定についてなんですが、詰まる所、制作者スタイルシートにて『本文』部分の文字サイズが、100% とか 1em 以外になっていると、利用者にとって面倒らしいんです、現状では。
現在の利用者の多くは、デフォルトで制作者スタイルシートが適用される UA を使用しており、多くの利用者はデフォルト状態からの設定変更を行っていない、或いは、設定変更できることを知らないでいると考えられています、世間的には。また、実際に設定が変更できることを知っていても、現在の多くの UA は、文字サイズの変更に際して、ワンクリックもしくはそれ以上の作業を強いられることになります。これは、たしかに面倒です。
また、ユーザスタイルシートというものを知っている利用者のうち、全てのリソースに対して適用させることを潔しと考えている利用者は、少ないと考えられています、世間的には。つまり、利用者の多くは、リソースの制作者、或いは、内容により、区別できる可能性の意味も含んで、制作者スタイルシートの適用を望んでいるらしいのです、世間的には。
というわけで、現状では、制作者スタイルシートでの文字サイズ固定は、利用者にとって面倒なものであるというわけです。で、面倒っていうだけで、実際のところ、間違いって訳では無いと思います。仕様書にも載っているみたいですし。
個人的には、『本文』部分の制作者スタイルシートの文字サイズ指定が、小さくて読みにくい場合には、自動的に、『本文』部分だけを、利用者が指定したサイズになるような、そんな UA が欲しいところです。全ての文字サイズを大きくしたりすると、制作者が用意した ナビゲーション とかが重なってしまって、『本文』が読めなくなったりするし。
制作者が用意した ナビゲーション 部分は、使用することが稀なので、小さいままで結構なんです。
文字サイズ固定のお話関連は、下記あたりをグルグル。