つまるところ、日記BBSの過去ログです。各記事の見出し部分のナンバーは記事個別表示のアンカーとなっています。
いやはや、レーザープリンタ様につきあってたら、こんな時間になってしまいました。まだ、事務所でございます。そして、タイトルとはなんの関係も無い内容でございますよ、あーた。
ガーココ、ガーココとレーザープリンタ様がゆっくり働いてますので、その間に、【マークアップ考察【日本国憲法】】に少し追加しておきました。暇な人は見たり聞いたりしてください。
なんかね、XML とか XSLT とか PHP とか RSS とか、一体なんのことやらなんですが、一見スゲー便利で面白そうなんで勉強してみようかな、なんて思ったりしちゃうわけですが、そういえば XML の参考書とか何処へ行ったっけ、なんて状況でして、それよりバイク欲しいよなー、などと思いつつ、娘の「うさぎごっこ」にでも付き合うのが関の山なんですよ、最近は。
そういや、下の娘は「この もんどころが めに はいらぬか」とお菓子の空き箱を振りかざしたかと思うと、「めーふまどー」と叫びながら、ハナちゃんを乗せた、ぽぽちゃんのベビーカーを押しまくり、遠くの方で「だいごろうっ、ちゃーんっ!」とか絶叫してるのですが、大丈夫なんでしょうか?
CSS 使いにとって、現実的な問題ってのは、UA ごとの CSS の解釈の違いなわけで、色々苦労して UA 毎に CSS を振り分けたり補正したりしてるわけ。CSS 書くこと自体はたいしたことじゃないのだけれど、これを数ある UA でほぼ同じような見栄えを提供しようとすると、面倒なことになっちゃう。実際のところ、全ての UA で同じ見栄えは、絶対不可能なわけで、一番簡単なやり方は、仕様準拠した CSS を書いて、後は知らん、閲覧者側で自由にやってくれってとこなんだけど、そうズバッと踏ん切りもつかない。
それにしても、各 UA は、いつになったら仕様準拠するのでしょう。テーブルレイアウトしちゃうオーサリングツールには責任は無いですよ。テーブルレイアウトしたい奴はしてればいいんですよ。レイアウト変更するのに、いちいちリソースを書き直してればいいんですよ。そんな奴のことはどうでもよろしい。それより、UA ですよ。あのシェア 95% とかいう UA が、さっさと仕様準拠してしまっていれば……。
と、ここまで書いてて、ふと気がつく。じゃあ、95% に合わせて、他を切り捨てる CSS にすりゃいいじゃん。いやいや、その 95% の CSS 解釈がお粗末だから困ってしまうのか? そーなのか?
どーなんだろー?
とりあえず Safari の虫ボタンを押している今日この頃。
今さらですが、ハイパーリンクに許可が必要だとは思われません。しかし、許可が必要だと思う方も多いようです。で、許諾するための条件を種々規定していたりするわけですが、少々凄いなと思うものもあるようです。
- 1.必要な文書
当該リンクには「株式会社東京ファイナンシャルプランナーズへのリンク」である旨を明確に表示しなければならない。
- 2.必要なリンク
当該リンクは常に「http://www.tfp.co.jp/」(トップページ)にリンクしていなければならない。
- 3.好意的表示
当該リンクは好意的な表示でなければならない。どのような方法であろうとも当ホームページを否定的に取り扱う表現をしてはならない。
- 4.
当該リンクは、必ず新しいブラウザが開いてアクセスさせなければならない。他のコンテンツと組み合わせて表示させてはならない。
- 5.規定の変更
本規定を変更する際は弊社から電子メールにて変更後10日以内に通知する。
1 項と 2 項は、まあ好いのですが、4 項の当該リンクは、必ず新しいブラウザが開いてアクセスさせなければならない。
っていうのは、難しい問題のような気もしますが。新しいウィンドウとかタブとかが開いても、駄目なんでしょうね。新しいブラウザじゃないと…。
3 項の好意的表示ってのも、【何】ですが。僕は好きですよ、とか書いておこう、とりあえず。
しかし、この規定、肝心のものが抜けています。当社のホームページにリンクをご希望の方は、「リンク許諾規定」をお読みいただき、「リンク許諾申込」フォームに必要事項をご記入の上、送信してください。
という一文は有るのですが(しかし、この文章は「許諾規定」の中の一項目として書かれるべきでしょう)、「当社にて妥当と判断した場合に限り、折り返しリンク許諾証を発行します。リンク許諾証及びリンク許諾規定に基づき、リンクしてください。リンク許諾証無きリンクは禁止します。」とかいう文章も必要だと思うのですが、如何でしょう。加えて、「リンク許諾申込」フォームを、送信せずにリンクした場合の対応についても規定しておくべきかと。
「ほーむぺーじ」オーナーの皆様。朗報です。W3C なんか、そもそも知らなくても、もう大丈夫。おかしなマークアップだと突っ込まれたら、ちゃんと HTML の制約に従っていると言い返す言葉が出来ました。W3C 信者に言ってやりましょう、「自由な制約の HTML 」を書いているのだと。
但し、数ある Web サイトから無作為に抽出してみたところ、2003 年 1 月 17 日現在、「自由な制約の HTML 」という言葉は、一人の方しか使っていないようですが。
たぶん、HPR などの音声読み上げブラウザを利用すると、絶叫もしくは呻き声が聞こえそうな気がするほーむぺーじ
。
どうなんでせう。
ところで、現代かなづかいでは、「頬」は『ほお』、「通り」は『とおり』なんですが、これ、『ほう』『とうり』じゃ駄目なんでしょうか。「勝利」は『しょおり』、「投資」は『とおし』じゃ駄目なんですか。
呻き声にはならなかったようで……。"ああああああああ"じゃなくて、「あはんうはんはぁはぁ」とかになっていればなあ。
扨、『しょおり』や『とおし』でない理由は、
一応、「現かな」の規則に従へば、歴史的仮名遣で語中語尾に「ほ」や「を」と書かれてゐた部分は「お」に書換へられてしまふけど、元々字音仮名遣で語中語尾に「う」と書かれてゐたものや、ウ音便に類別されるものは「う」の侭です。さう云ふ訳で話言葉だけから仮名表記を類推する事が困難な事も理解できると思ひます。
ということで、なかなか奥が深いのです。聞いたまま、或いは聞こえるままに、ストレートにはいかないのです。
そして、話は飛びます。
こんなことを疑問に思うのは、計算機ならぬ人間にとって、 旧仮名遣いから新仮名遣いへの変換は容易であり、新仮名遣いから 旧仮名遣いへの変換は難しいと思うからです。 さらに言えば、旧仮名遣いの教育を受けた人にとってさえ、 新仮名遣いの表記の方が綴り方の間違いが少ないのではないかと 思います。もしこれが正しいなら、「新仮名遣いは旧仮名遣いより 平易である」という論拠になるでしょう。
うーん、一見正しそうですが。
こんなことを疑問に思うのは、計算機ならぬ人間にとって、 W3C 勧告の HTML から自由な制約の HTML への変換は容易であり、自由な制約の HTML から W3C 勧告の HTML への変換は難しいと思うからです。 さらに言えば、W3C 勧告の HTML の教育を受けた人にとってさえ、 自由な制約の HTML の表記の方がマークアップの間違いが少ないのではないかと 思います。もしこれが正しいなら、「自由な制約の HTML は W3C 勧告の HTML より 平易である」という論拠になるでしょう。
などという人が現れると困るので、やっぱり正しくないと思います。
意味不明ぽいので寝ます。
遂に最終決着の時は来た。
仮面ライダー城戸は、夢を果たしえぬまま倒れた。茫然とする仮面ライダー秋山。そこへ、仮面ライダー神崎が現れた。今こそ、ミラーワールドの存亡をかけて、最後のライダーを決する戦いが始まろうとしていたのであった。
一方、仮面ライダー北岡は、病魔が迫り、その一生を終わろうとしていた。しかし、仮面ライダー浅倉との決着をつけるべく、カードデッキを手にする。
廃工場。じりじりしながら待つ仮面ライダー浅倉の前に、仮面ライダー北岡が現れる。いよいよ二人の対決は、口火を切った。浅倉のファイナルベントが炸裂、吹っ飛ぶ北岡……。
その時、浅倉はハッとした。倒れたのは、北岡ではなく吾郎だったのだ。そう、北岡は既に絶命しといたのだった。廃工場をさまよう、浅倉。そして、彼を狙ういくつもの銃口が……。
って、どーゆー結末だったのか、よく分かんなかったのですが、今週のライダー最終回。まあ、いいか。
などという人が現れると困るので、やっぱり正しくないと思います。
そういう方が現れても困らないのではないでしょうか。本当に困るのは、簡単でわかりやすいということに重大な価値を見出す考え方の蔓延でしょう。そうして、人にモノを考えさせないことを重視する考え方が広まってしまったから、こんな現状になっているのではありませんか。
わはは。そーなんですね。自由な制約の HTML が、W3C の HTML より簡単なのは紛れも無い事実で、しかし簡単が故にそっちの方が好ましいやり方だと思い込む人が出てくることの方が、Web にしろ仮名遣い(或いは日本語表記)にしろ、困るってことで。
そもそも「自由な制約」ってのは、制約が自由なのだから、制約がほとんど無い、つまりは出鱈目ってことで、ルール無用の悪党なわけで、それをさも制約があるかのように「自由な制約」なんてふしだらな語句を使って【XHTML 入門】なんていうものを「自由な制約の HTML 」で書いてしまう輩がいたりしたら、多分許せないのでしょう、私は。
簡単で分かりやすいことは大事ではあります。複雑にして理解困難であるよりは、好い場合もありますが、目的を逸脱して簡単にしても意味はありません。日本語表記であれば、意味を伝えることが主目的であり、表記が簡単でも、意味が伝わらないのであれば、簡単な方を採用するのは間違っています。現代仮名遣いを、より簡単にするような方向に推し進めれば、遂には意味不明なんて事態も起こり得るわけで、簡単だから価値があるとするのは、困った事態を招くのは確かです。それは、HTML においても同様でしょう。
しかし、簡単でわかりやすいということに重大な価値を見出す考え方の蔓延
を、どうやって打破するのか、私には分かりません。それが分かれば、「自由な制約の HTML 」で XHTML の解説をするなんていう恐れを知らぬ方は、確実に減ることでしょうけれど。