Go! Show! Dah-Hummer!

3rd 予備校の……

なにを思ったか、アルバイト先とアパートを電車で往復。フォークギターなんぞ弾いて、4畳半にお友達と集まっては、夜な夜な熱い議論を重ねたりしてたんだけど、お友達は意外に現実的で、ダハマだけが取り残されてしまう。路地裏でがっくりするダハマ@18歳 in 横浜。

ど〜して、横浜へ行ったのか。ダハマの生まれたところでは、高校を卒業すると荷物まとめて街を出ていく風習があったらしい。すべては金のためで、夢といえば

「メルセデス、プールサイドでドンペリにょん」

というくらい、金がほしかった。ちなみに彼に金持ちのイメージを聞くと、必ず「プールサイド」という答がかえってくる。自宅にプールがあるのは、金持ちの象徴なんだろか。私のうちにも空気入れてふくらますプールがあるが、けして金持ちでは、ない。

正確には「純白のメルセデス、プール付のマンション、最高の女とベッドでドンぺリニヨ〜ン」だ。

共通一次試験とか、センター試験なんてのはまだなくて、受験生ブルースだったころ、ダハマは大学をめざす。現役では合格できず、予備校へと通うことになる。はなっから予備校へ行きたくて、故意に不合格となったのかもしれない。ゴショー・ダハマこの時19歳。実は、予備校へ行く1年程前、彼は近所の米軍キャンプへ通っていた。その行き帰りの楽しみは、基地の傍にある小さな店。そこで働いていた女の子に恋をした。将来の約束(兄貴の車を借りて湖のほとりで、押し倒し「もっと、もっと」と言わせている)もしたのだが、な〜んとその彼女は5月に海兵隊と一緒に渡米してしまった。カリフォルニアだ。ショックだった。ひとりつぶやく日々が続いた。かといって、英語が話せないので、追いかけることもできなかった。ダハマは、決心する。

「どうか、みんなが、そして僕も、英語が話せるよう、祈ってます。」

予備校できちんと勉強していたのかどうか、定かではないが、恋はしていたようだ。湿っぽい廊下ですれちがった娘に図書館のロビーで声をかけたのは、春4月。夏が過ぎるころには、スニーカーすりきれるほど、仲良くなっていたもんだった。だけど、つきあっていたのは、クリスマスの晩まで。ダハマの方から別れ話を切り出したようだ。その娘とは、それっきりとなってしまったが、おかげで大学に合格することができた。

1973年・春。駅から大学までの間には並木道があって、そこを歩くダハマは、うれしさのあまり踊ってしまったらしい。駐輪場にバイクを停めていた、赤いヘルメットの娘に、それを見られて笑ってごまかしたが、何日かたったある日その並木道を歩く彼女に声をかけたのは、いうまでもない。喫茶店でコーヒー鼻から出すほど笑かして、その日は、キスしてさよなら。バイトの給料もらった晩に、駅から彼女に電話して、駅前の飲み屋でしこたま飲ませて、自分のアパートまで連れ込んで、

「もっと、もっと」

したのだ。この娘とつきあいながら、別の娘ともつきあっていたらしく、もっともその娘は、丘の上の金持ち(プールはあるのか?)のところへ行ってしまったので、まあ、ふられたってことになるんだけど、この頃からフタマタ野郎だったようだ。ふられてしまったことで、かなり打ちのめされたらしく、紺と銀色の盾の前で、祈りをささげたりもしたけど、それでその丘の上の娘が戻ってくるわきゃないんだな。

「キスしてさよなら」

の娘は、自宅から通学していたようである。最近の調査で判明したのだが、彼らは、ハンバーガースタンド(マクドナルドか?)で待ち合わせてデートしてたが、夜更けに彼女の父親の車(またもや70年型?)を盗みだしていたことから、おそらく彼女は自宅より通学していたものと考えられている。

ああ、話がそれたね。それで、その「キスしてさよなら」の彼女だけど、続いたのは1年ほどか。もともと15歳のとき稲妻が走ってから、音楽方面をめざしてしまったダハマにとって、大学なんかにいたら、錆び付いてしまうとこだった。ドラムたたける仕事を見つけて、2度と大学へは戻らない決心をしたのが1974年。21歳のことだった。

しかし、兄貴の車(70年型)は、どこへ行ってしまったんだ?

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