カナかな団の躁鬱

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日記

764 儀礼的無関心と監視カメラ

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2004年02月06日 15時36分

そもそも、アクセス過多により、サイト閉鎖ないし当該テキスト等の削除に至る最大の理由は、運営者が「恥ずかしさ」を感じたからだと思う。アクセスが増えたら、即、削除になるわけではない。最初から、ひっそりと運営したいわけではない(一部の例外はある。アングラなものとか、社会的に許容され難い趣味のサイト等を、自覚して運営している場合とか)と思うのだ。やたらカウンターをつけたがり、やれキリ番だの、何万ヒットだのとお祝いするサイトも多く、アクセスアップの方法とかが人気あることを考えれば、ハナッからユーザを限定しようなんてことは、多くの場合、考えていないのではないかと思う。

扨、運営者が「恥ずかしさ」を感じるのは、「公開すべきでないものを公開してしまった」からであろう。公開すべきではなかったのだから、非公開とするため、サイト閉鎖や削除ということになる。結局『公開するリスク』を知らなかったが故の出来事なのだが、 Webに文章を公開する仕組の敷居が低くなつた一方で、文章を公開するリスクは低くなつてゐない。その邊の「啓蒙」がまづ必要である。 ってことなんだろうと思う。

公開すべきでないものを公開してしまった。言い直すと、「見せたくないものを見られている」ということである。『ネットでの儀礼的無関心』の最大の効果は、【カナかな団の躁鬱_2003_12_a:717 考察:「ネットでの儀礼的無関心の可能性」 】でも書いた通り、運営者に見られていることを気づかせずに利用者が見続けられるという点にある。見られていることに気づかなければ、双方ハッピーじゃないかという事である。「こっそりと見続けたい人」の権利 を守ることが期待できるものなのだ。

堂々と街角に設置された監視カメラに、「見せたくないものを見られている」という感情を抱く人がいる。知られても良い部分以外を知られることに反発を抱く。それは当然の感情かもしれません。そこで、儀礼的無関心の登場である。そういう人に気づかれずに、監視カメラを設置する、つまり隠しカメラを仕掛ける(もちろん極秘裏に)のだ。監視されていると気づかせずに、監視するのである。これなら、監視する側、監視される側、双方にとってハッピーであり、監視する側の 「こっそりと見続けたい人」の権利 も守られて万事メデタシなのである。

そーなのか?

※「公開すべきでないものを公開してしまった」という思いは、本人にとってそう感じられるということで、個人差もあるし、社会的に見た場合の合法・違法は関係なし。

※ 監視カメラの設置(或いはそこから予想されるもの)は、「見られたくない」とか「見られている」という次元の話じゃないじゃん、国家と個人の対立や社会システム云々なんて話は興味無いので、省略。


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