カナかな団の躁鬱

つまるところ、日記BBSの過去ログです。各記事の見出し部分のナンバーは記事個別表示のアンカーとなっています。



日記

470 続・続・簡単な方法

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2002年09月14日 13時41分

美しい某有名ブランドの財布から取り出された一万円札も、ジーンズのポケットから取り出された一万円札も、同じ \10,000 であり、\9,800 のお買い物には、\200 のお釣りを渡さねばならない。どちらの一万円札も全くの同価値であり、深夜の疲れたコンビニ店員にとっては、美しい財布は無意味であったりするわけだ。むしろ、その札が一万円札なのか、千円札なのかを見分けることの方が重要だったりする。\9,800 の請求に対して、必要勝つ十分な額の支払いがあること、これが店員にとって大切なことであり、店員の本質的な要求なのである。

ほーむぺーじ についても同様である。利用者にとって、その要求が満たされる「何か」があるかどうかが、大切であり、要求に満たない「何か」では駄目なのだ。或る事象に対する詳細な情報が欲しいのに、簡単な情報しかない、あるいはとんちんかんな情報しか記載されていないような ほーむぺーじ にはあまり用が無い。たとえその ほーむぺーじ がどんなに美しく装飾されていようとも。つまり、web 上で「何か」を公開しようと思うのなら、利用者にとって重要なのは「何か」自身の出来具合であり、「何か」を際立たせる装飾の出来具合ではないということが多いのではないかと思うのだ。

扨、コンビニの店員が受け取った一万円札だが、今度は仕入れ先に代金として支払われる。そして、銀行へ行ったり、税金として納められたり、誰かの給与になったりして、ぐるぐると利用されるわけだ。これは正しい一万円札だったからだ。これが一万円札として機能しない一万円札だったらどうだろう。いや、元は一万円札だったのだが、ただの紙切れにも見えるようなもの、例えが悪いが、カッターで細切れにされ、繋ぎあわせればかろうじて一万円札と分かるもの、そんなものだったら。コンビニ店員は受け取らないかもしれない。或いは、店員は繋ぎあわせてみて、一万円札と確認するかもしれないが、仕入れ先や、銀行は拒否するかもしれない。つまり、一万円札は、多くの利用者に一万円札として認識されるものでなければ、利用、或いは再利用できないことになる。

ほーむぺーじ で公開される「何か」も同様である。ある特定の利用者にだけ利用できるものではなく、多くの利用者にとって利用できる形態を確保されていなければならない。故に、正しく(または普遍的な)マークアップをされていることが重要なのである。その上で、その「何か」をどう装飾しようがしまいが、それは制作者の勝手であり、利用者の勝手だと思うのだ。

一万円札は、美しい某有名ブランドの財布に入れておいても、レジの中にしまわれても、金庫に隠されても構わない。夫々の利用者が保管しておきたい状況で保管しておけばよい。ほーむぺーじ を制作するにあたって、「何か」を提供するために、記号付けと装飾とに分けるというのは、そういうスタンスをとることなのではないかと思うし、それゆえ装飾は、ほーむぺーじ 制作工程において 1% でしかないと思うわけだ。


はてなブックマークのコメント一覧


ページ操作


掲示板情報

案内 カナかな団の躁鬱ご利用の手引き