カナかな団の躁鬱

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日記

335 理に適ふといふこと

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2002年04月07日 17時37分

理に適ふものを選択することが大事だ、と先日書いてしまつた。では、「理」とは何だといふことになる。【り】理とは、物事の筋道、ことわりのこと。

人が何かを選ぶ時、大抵の場合、理に適つてゐるから選ぶのであつて、納得出来ないまま選んだりはしない。つまり、物理要素でマークアップすることも、(不思議マークアッパーにとつて)理に適つてゐるといふことになりはしないか。

皆が使つてゐるから使ふ、とか、難しいから使はない、といふのは「理」ではない。それは「便宜」である。本来の筋道からは、外れてゐるのだが、妥協するための理由なのである。理に適つてゐるものを選択することは、万人にとつて簡単なことではないので、往々にして便宜を図るのである。つまるところ、「理」とは「便宜」を削りに削つて、残つたものをいふのであらう。

では、便宜を図つてはいけないのだらうか。それは、生き方の問題であるやうな気もする。屡々妥協し、便宜を図り、生きていくことは容易い。さういふ事態を避け、理に適ふものだけを選択していくことは、やはり、厳しく孤高の道であるといへやう。「理」は理想であり、夢である。理想を捨て便宜だらけになるといふことは、夢を諦めることと同義であり、即ち夢を掴むことの出来ぬ状態に陥るといふことである。

正しいマークアップによるwwwの明るい未来は理想であり、夢である。皆(不思議マークアッパーでさへ)、望んでゐることでもある。しかし、便宜を図り、妥協を続けることによつて、夢は遠ざかり、理想は失われるのである。

努々、忘るるなかれ。


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