カナかな団の躁鬱

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日記

23 昔ながらの……

  • 投稿者 首領
  • 投稿日 2001年11月02日 21時38分

いや、まったくの偏見が原因だとは思いますけど。

NHKをぼんやり見てたら、アマゾンに住んでらっしゃる方で、長ーい吹き矢を使って狩猟する方のスペシャルな番組が放送されていまして、つらつら視聴したわけですよ。

まあ、掘っ立て小屋のような所に住んでらっしゃいまして、原住民というか、自然派な方々だったのですが、私が思いますに、こういう方々は古代より同じような生活を繰り返していらっしゃるのだろうなあ、と。

で、番組は長ーい吹き矢を作る、村で唯一の方「ヴィクトール」さんの紹介になったわけです。このヴィクトールさんが、吹き矢を作る行程をつらつら紹介してくれてたのですが、私、ここでハッとしました。

何にハッとしたのでしょうか。

それは、彼「ヴィクトール」さんが、あまりに『職人』だったのです。およそ、未開の原住民がする仕種ではないように思えてしまったのです。吹き矢用の材料の曲がりをとる作業、それを確認する仕種が、私の知っている日本の職人たち、或いは工場で働く方々にそっくりだったのです。そして、おそろしく職人の技で吹き矢は作られていき、まさしく、職人というのは万国共通なのではあるまいか、という思いがふつふつと湧いてきたのです。

出来上がった吹き矢は、狩猟の道具というよりも、「製品」と呼ぶべき代物でした。感動しました。

昔ながらの生活のように見えても、そこには技術革新が常にあったのだということに気づきました。

吹き矢が長くなったのは、効率良く狩猟するためだろうし、吹き矢の作業工程も試行錯誤の上、最も効率良いものに落ち着いたのでしょう。そして、この先ヴィクトールさんか、或いはその子孫によって、さらなる技術革新が行われるのは自明です。まさに人類は技術革新する哺乳類なのです。

もっとも、産業革命以降の急速な技術革新しか、革新ではないと思い込んでいた私が間抜けなだけですが……。


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